変若水で泳ぐ山姥の日記

をちみずでおよぐやまんばのにっき

まさかのヤフーニュース、ハジチ。

まさかこんな記事がヤフーに載るなんて…

 

時代が呼吸してるんだぁ…って、無性に星を見たくなって庭に出る。

 

秋めいた空気に満ちた夜空にうかんだ夏の終わりの星座の輝きと、茂みからわんわんと響く虫たちの歌の音色が美しい。

 

沖縄地方の女性がかつて手に施していた入れ墨、ハジチ

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縄文好きな人ならピンとくるソレ。

 

現代日本人は原住民(縄文人)とのちの移住民(弥生人)の混血ですが、縄文人遺伝子の割合をちょっぴりしか持っていないのが大多数で、私もDNA検査で御多分にもれず弥生人タイプと判明して、わかっちゃいたけどなんとなくがっかりした。

 

一方、縄文人由来の遺伝子情報をたくさんDNAに持っているのが、北のアイヌの方々と、南の沖縄地方の方々です。

 

そしてその両方に、形態は違うものの体に墨を入れる文化があり、ほんのちょっと前まで残っていた。

 

自身のアイデンティティを示すため、魔除けのため、たしかに痛みを伴うが同時に生きること、守ること、成長する誇りや喜びと表裏一体で生活の中で受け継がれて来た豊かな風習だった。

 

イギリスやフランス、スペインなどのヨーロッパ諸国が、近代に世界各地に入植し、原住民の文化を破壊し、奴隷化し、資源を奪って来たことは知っていても、ソレと同じことが古代日本の地で起こって来たかもしれないことを気にしている人は、少ないと思います。

 

古代の日本列島において、後から来た弥生人縄文人と融合していく過程は、必ずしも穏やかな場合だけではなかったはずで、特に西日本では縄文由来の遺跡が根こそぎ破壊撲滅された形跡が見られます。

 

そうして徐々に北上し、中部地方あたりからもうすこしマイルドに融和していく方向に落ち着いたようで、それゆえに美濃・諏訪以北には縄文由来の信仰・文化がそこかしこに感じられるのですが、それでも大和族は縄文人を野蛮な奴隷としてモノのように使っていたし、色鮮やかな文化と、争いを嫌う人々は北と南の端っこ(本州においては住みにくいエリアや限定的に囲ったエリア)に追いやられていった。

 

時代が下がって江戸時代には、北海道の名付け親・松浦武四郎のドラマでも描かれたように、いや、描くことなど到底できないほど残虐な扱いと差別をし、現代まで遺恨を残しているわけです。

 

私は、芸能人のタトゥー批判ネタがネットで湧くたびに、「刺青はもともと江戸時代に犯罪者とわかるように入れられたのが始まりだから〜」といった、現代の反社会勢力の刺青につなげて叩く「正義の意見」を読むたびに、それとは次元の違う(しかし深い意味では無関係とは言えない)入れ墨があったことと、でもそのニュアンスを上手に説明もできないもどかしさと空気に、石のような重苦しいモノを胸にしまい、口を噤んできた。

 

いや、本当は、かつて愛した人の背中に鮮やかに描かれていた美しいモノも、アイヌの方々、沖縄地方の方々の文化風習として受け継がれていたそれも、「次元」は違っても、「大多数から外れた、もしくは外された、もしくは外れざるを得なかった人達のモノ」という意味において共通であり、偽らざる命の美しさの一面であると思っても、それは「現代の一般社会」ではやはり言いづらいことであって、話すのを憚られることであって。

 

でも、自分が美しいと思うものはやっぱり知りたくて、触れたくて、絶版になった本も探して買い求め読みふけった。

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どんな背景があっても、キレイなもんはただキレイだし、かわいいもんはかわいいし、素敵だから、その多様な文様に心がときめく。

 

まだ、自分が何年もかけて考えて来たこと、気づいた事や感じた事、その結果導かれた場所や出会った人についてまとめる力量はないし、

 

それは、元を辿れば、地元のこと…被差別部落の成り立ちへの素朴な疑問含め養老の郷土史研究から始まったわけで、その過程で自分の全部が丸裸になるような衝撃や感動、大きな愛の感覚を得た奇跡を伝えることもできないけれど、

 

今日は、こういうニュースがヤフーに載ってくるようになったんだ、って。ゴールデンカムイもそうですけど、自分はどっち由来かとか、あっちの人はどうとか、こっちが本流だとかの主張や反撃や反転でなく、相反する(ように見える)全ての価値観の統合を静かに待つ(願う)ものとしては、驚いた(嬉しかった)んだ。

 

月を池に写し、星を石に刻み、太陽を胸の内に隠した人々の、その末裔である私たちが、再び本来の輝きを放ちますように。