変若水で泳ぐ山姥の日記

をちみずでおよぐやまんばのにっき

オリンピック開会式、不敬と言うけれど。

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畑のひょうたんはもうすでに一部枯れてきた所もありますが、まだこれから花を咲かせて身をつけている子達もいて、それがとてもかわいいです。

 

昨日はオリンピックの開会式でしたね。私はテレビを持っていないので時々ネットニュースに上がってくる写真や動画で楽しんでいました。

 

どうも天皇陛下の宣言の際に、起立せずボーッとしていたとかで首相や都知事が不敬だと批判されているようです。

 

たしかにちょっと残念ですね(^^;)…が、それに対してこんなにも「不敬だ!」とか「政府のせいで陛下にご迷惑を!」とかいうコメントが溢れる様子は正直滑稽です

 

普段、日本の歴史を学ぶこともせず、皇室に対して散々ディスっていますよね。今回の批判も本当に敬愛しているわけではなくただ叩く理由に使っているだけで、嘘くさく感じるのはわたくしだけでしょうか…

 

でなければ、みんな違っていいと言いながら、こんなにも批判や不満を社会にばらまく理由がわかりません。コロナでみんな大変です。政治家の方には頑張って頂かなくてはなりませんが、国民がいがみ合うのは何の得にもなりません。大人は子供のお手本にならなければいけないのに、汚い言葉が行き交っています。

 

本当に皇室や陛下に敬愛の念を持っているなら、より良きところに目を向け、どんな状況の方も理解しようと努力し、辛い人には共感しお互い労りの心を向け、すこしでもえ笑顔でいられるよう一人一人が勤めれば良いですよね。

 

ニュースに辛辣なコメントを書く時間があるなら、梅ジュースでも飲みながら面白いYouTubeを見て笑っていた方がずっと幸せですよ。

 

7/22(木)の中日新聞にこんな記事が載りました。

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何年も前から地元の生徒たちと行ってきた瓢活が、こんな風に広がるとは思っていませんでした。とても嬉しいことです♪

 

ひょうたんは調和の象徴、少しでもささくれだった空気の癒しになると良いなと思います♪ 今日は本居宣長の門下生で地元(岐阜県養老町)出身の田中道麿についての資料を読んでみようと思っています♪

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小室文書、笑うのは誰、泣くのは誰

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先日発表された小室文書と呼ばれるものを目にし、またそれに対して溢れる罵詈雑言にただた気分が沈む。

 

一般の方への個人攻撃になってしまうけれど、小室さん親子が眞子内親王殿下を安心してお迎えしお守りできる方達だとはわたしも到底思わない。相応しいかどうはいうまでもない。

 

こんなにも心配や批判が巻き起こること事態が既に異常であって、あってはならないこと。

 

かと言ってなぜこんな事が起きてくるかと言えば、それは社会全体の勉強不足、日本固有の歴史や伝統文化に対する敬意と誇りを国民が持ちあわせていないことの表れだと感じる。

 

日本が戦争に負けた時、じわじわと皇室を潰す作戦を、諸外国が練ったという。

 

天皇は現人神から象徴となり、その威光が失われるように法律も変えられた。「開かれた皇室」というファンタジックなまやかしによって、民間からお后様をお迎えになった時にもう始まっている。

 

それでも上皇陛下は、ご自身の「私」より「公」の立場を徹底されご婚約の際には美智子様に立場ゆえ守れないこともあるとおっしゃられ、それを承知で美智子さまも嫁がれたからこそ、苦難もありながら新しい形を模索されていらっしゃったのだと思います。上皇陛下が御代替わりの意向をお話しされたときに、「全身全霊」と仰ったのはそういうことではなかったでしょうか。

 

そうして皇太子でいらっしゃった今上陛下がお后様をお迎えになるときには、「わたしが全力で守る」と雅子様にお伝えなさることにより「私」の部分の重要度がやや増し、雅子様への批判があればそれを諌める発言を公になさり、ストレスでご公務の遂行が叶わない期間も「ご自身の家族」をお守りになってきた。それまでは最も重要とされたお后様のお役目、お世継(親王)に恵まれずとも、国民の敬愛を損なわないあり方を体現され続けていらっしゃったことは、時代の流れにも適合する事だったと思います。

 

そんな中、「血のスペア」のお役目を負うことになったのが秋篠宮家で、悠仁様がお生まれになり、秋篠宮皇嗣殿下、御一家にかかる重みは急激に増すことになりました。

 

どの出来事をとっても、その一つ一つが大変な出来事であり、その時の最善を尽くしていらっしゃった皇族の皆様方には敬愛と畏怖の念こそあれ、批判が起こることなどは、三流のゴシップ紙が煽る事はあっても、国民全体としては穏やかに冷静に見てきたはずと思っていました。

 

しかし、政治やマスコミ、エンターテイメントの変質により(もしくは意図的に)、日本の国の歴史や文化、品位を貶める出来事は止まることを知らず、それによって起こりうる未来より個人の生活を守るだけでていっぱいになってしまった私たちの、まさに「象徴」として現れた内親王殿下の恋人、それが小室さんなのだと思う。

 

皇室に対する敬意や畏怖はもとよりなく、相手の心に寄り添う思いやりもなく、自身の正しさを優先し雄弁に語る卑しさ、小室さんを生み出したのは社会であることを反省することも、謙虚に歴史を学び直すこともせず、私たちはどこへ向かうのでしょうか。

 

マスコミのやることは同じです。天皇への直接の批判はできないので、その次に継がれる立場の方を徹底的に攻撃します。

 

昭和天皇が御存命の時代は美智子様を、上皇陛下の時代は雅子様を、そして今は秋篠宮皇嗣家をと、順番に持ち上げて落とし、尊敬するふりをして叩き、エネルギーを奪い、天皇家の御宝であるはずの良識ある国民の意識を愚弄する方へ誘導する。

 

そう、作戦通りに。

 

わたしは自分の地域のまちづくりに関わるようになって、ようやく地域の歴史というところから日本の歴史へと目を向けるようになりました。まだまだ知らないことばかりだけど、それでもいかに苦難を超えてこの天皇家と国民の関係が育てられてきたかと驚く。良い悪いでもないし、正しいかどうかも時代によって変わるのだろうけど、それでも「続いてきたという史実」はあって、そこに感動し、ありがたいと思ってきた。

 

天皇陛下の存在は西洋で例えるなら、イギリス国王とローマ法王の両方の権威を一つの身に合わせてお持ちになっているようなものであり、現代においてもこのような制度が存在しているのは唯一無二の奇跡、世界で最も長い歴史を持つ国家をつらぬく御柱です。それは、マツリゴトが、政と祀りと同時に表されるように、目に見えることから霊的なエリア全てに影響します。

 

でも、自分の地域やその歴史を愛し、国の成り立ちを誇りに思い、好きだというわたしは変わり者でしかない。それが、とても悲しい。

 

恐れながら、私は子供の頃からなぜか秋篠宮様が大好きで、紀子さまと共に御公務に勤しまれる姿に胸をときめかせてきた。お世継ぎを産む役割まで負われ、(たしかにお若い時は自由を楽しまれる側面もあったにしろ)、天皇家と一緒になって伝統を守っていこうとされる決意に満ちた殿下の御姿に感動したりこっそり泣いたりしていました。

 

天皇家の存続は、皇室のプライベートな幸せ云々の話ではなく、日本国の話。だからこそ、陛下はその長として公の場で内親王殿下とその恋人に対してメッセージを伝えられたのです。

 

にもかかわらず、公開された文書にはそれに対するお詫びや感謝、反省は全くない。つまり、敬う気持ちなどひとつもないわけです。だから腹だだしいのだけれど、見渡すと誰もがそうではないか。

 

そして多くの人が歴史なんか興味ない。時代に合わせて変えればいい、税金無駄にするなら無くせと平気で言えてしまう。これはもう、無理だな、と思ってしまう。

 

こうなってくると、敗戦時に作戦を練った側の勝ち、圧勝です。

 

戦いに負けるとは、そういうことです。長年積み重ねた歴史も伝統も、そこから育まれた文化も全部破壊されるのです。

 

皇室の尊厳が無くなり、女系天皇だの、自由に離脱して結婚してだのとなったら、笑うのは仕掛けた側。アメリカでしょうか、中国でしょうか。わたしにはわかりません。 では泣くのは? それはもう日本国民ですらなく(価値が分からないから悲しくもない)、心底ガッカリするのは中韓以外の日本を好きだと言ってくれていたアジア諸国の人たちかもですね。

 

本当に嫌だ。本当に、悲しい。

 

でもだから、批判だけするんじゃなくて、せめてできる範囲で学べることは学び、伝えるべきだと思う事を、小さな地域の中でやっていきたいと思います。

 

眞子内親王殿下のご結婚に関しては、国家を統べる陛下が毅然として然るべきご決断をなさるべきと思います。それにより起こることは国民全体が受け止めていくしかありません。

 

どんな社会になろうとも、私たち国民もまた、不自由な生贄のままではいられません。壊滅的な破壊の中から、復活できるものだけが次の時代を作ってゆきます。

 

それが「風の時代」なら、仕方のないことです。

わたしと大垣、ひょうたんのこと。

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奥の細道むすびの地記念館(岐阜県大垣市) ひょうたんイルミネーション設置とひょうたんランプ展示に寄せて

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 わたしは1979年(昭和54年)1月、大垣の箭田産婦人科で生まれました。1歳の時に母の実家である養老へ住まいを移してから高校卒業までほとんどの時間を養老で過ごしましたが、祖父母が大垣に住んでいたためよく遊びに来たものでした。祭りと言えば大垣まつりが大好きで、夜店の並んだ賑やかな通りをあるいてお菓子やガラス細工を買ってもらうのを、毎年とてもたのしみにしていました。


 祖父、大橋源吉は竹島町で紋章上絵師として着物に紋を入れる仕事していました。家に遊びに行くと、狭い路地に面した古い家の一階に祖父がいて作業の様子をよくみていました。 わずかにゆがんだ硝子戸から挿し込む光、湯を沸かす炭のにおい。竹のコンパスと墨を含んだねずみのひげでできた細い細い筆。それらをつかって生地に紋を描き入れていく様子は、まるで魔法を見ているようで、私の頭に原風景としてしっかり焼きついています。父・藤雄の代になって時代の流れもあり紋入れの仕事は廃業致しましたが、みなさまが紋付の着物をお持ちなら、ひょっとすると祖父や父が描かせていただいたものがあるかもしれません。

 

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 ひょうたん工芸を始めたのは高校卒業後、東京・大阪と都会での生活を終えて地元養老に戻ってきてからです。久しぶりに帰ってきたまち。養老山脈が見下ろす平らかな濃尾平野、川を照らす夕日や山の上にきらめくたくさんの星、季節ごとに山野をいろどる草花。心の底から美しいと思いました。この豊かさを大切にしたい、次の世代へつないでいきたいと思い仲間を集め町づくりの活動をはじめました。何か面白いものはないかと地域を見て回っているうちに出会ったのがひょうたん。昔から当たり前にあったのに、培加工者が高齢化し文化として途絶える寸前であることを知りました。町のシンボルが廃れてしまってはいけないと栽培から始め、今ではすっかりひょうたんの魅力にはまっています。


 ひょうたんにカラフルに色づけをするようになったのは、汚れや傷で売り物にならないと見捨てられたひょうたんの活用のためでしたが、おかげで絵筆を持って作品作りをするようになると、紋章上絵師だった祖父をよく思い出すようになりました。「そういえば、爺ちゃんも筆で仕事しとったな」とまるで昨日のことようにあの硝子戸の中の空気や匂いがよみがえるのです。そして静かに自身と向き合うとき、祖父はじめたくさんの存在が途切れることなくつながっていてくれることの尊さと感謝で胸がいっぱいになります。今回、結びの地記念館のイルミネーションライトカバーの装飾と作品展示をさせていただくこととなりました。山に降った雨が伏流水となり長い時間を経てふたたび地上へ清らかな泉として湧き上がるように、祖父母・父母がお世話になった大垣でこうしてご縁をいただきましたこと、心より感謝申し上げます。

 

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 わたし達はだれもが、とてつもなく長い時間の中で命を受け継いで生きています。ひょうたんは乾燥すると中が空洞になる特性から、古代より物入れや水(酒)入れ、楽器などの材料として活用されてきた器、「人類の原器」ですが、人間もまた愛と魂を受け止め輝くかけがえのない「器」と言えるのではないでしょうか。 そんな思いを込めてつくったひょうたんランプ三点を展示しております。ゆっくりご鑑賞頂けますとうれしいです。

 

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秋篠宮さまお誕生日、麒麟が来るまで。

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2020年11月30日 

今日は秋篠宮さま55歳のお誕生日、心よりお祝い申し上げます。

 

秋晴れ…というか11月最終日ですからもう冬ですね。良いお天気で工房から見る景色が清々しいです。

 

秋篠宮さまのお誕生日の記者会見のVTRをノーカットで拝聴しました。午前0時を過ぎた時点で…

 

というより週刊誌ではそれよりも前から情報ダダ漏れですが、マスメディアではほとんど眞子さま関連のところしかクローズアップされませんね(^^)

 

全体として殿下がどのような話題に触れられたのかはやっぱり知りたいなぁと思う秋篠宮さまファンのわたし。

 

印象深かったこと。

「個としての秋篠宮文仁は何も変わらない」…けれど「これからはここで(宮中三殿)で儀式をしていくのだなと」

とのお言葉。

 

弟宮としてお生まれになり、皇太子さま(陛下)とは違ったスタンスで何十年と過ごされ、時に親しみある距離感で公務をこなされてきたところで、さまざまな状況の変化により皇嗣となられることを受け入れられた(そうせざるを得ない)過程には大変なご葛藤もあられたことと想像します。

 

私たち一般人はなんでもたいてい自分で決めて実行できます。仕事が嫌ならやめればいいし、やりたいことはできます。自由です。

 

皇族は税金で生活してるから自由がなくて当然、と言う人もいますが、一般人でもある程度の高所得者でない限り、払う税金より、税金により生活を守られていることの方が多いはずです。学校も病院も、道路も水道も、ぜーんぶ自費だったら多分庶民は無理です。全くの自給自足暮らしができる逞しい民は別ですけどね。わたしは低所得なので、皆さんのおかげでなんとか生きてます、ありがとうございます(^^)

 

ちょっと外れましたね。

 

直接に天皇家をバッシングできないために、その次を継ぐお立場の方を攻撃してきたマスメディアのいつもの流れですが、秋篠宮家に対しても否定的に面白がる報道が増えました。そこにきて内親王さまのお相手のこともあり。

 

わたくしも若い頃、親が反対するような異性との付き合いがありました。どれだけ叱られても、諭されても、全く聞けなかった。否定されるほど、「彼のいいところは自分しか知らない」と余計に頑なになってしまいました。

 

結局は社会に出てから相手や自分の幼稚さに気がつき自然と嫌いになって別れるのですが(笑 あれから何人と付き合ったでしょうねぇ、数え切れませんよ(笑

 

ですので、本当に人のことは言えないのですが、その時の自分はただ幼く「愚か」でした。心配する親の気落ちも、呆れる周りの声も、結局は本人が失敗して気がついて納得するより仕方ないのでしょう。客観的に見れば「相応しくない」ことなど明白です。しかし本人の気持ちは変えられない状況。

 

世間が騒ぐ以上に当事者として相当のエネルギーを使って向き合われたであろう結果、今は何を言っても無駄だとやむなくあのようなご発言をされるに至ったのでしょう。というより、仕方がないわけです。

 

殿下がおっしゃるように、反対すれど本人たちの意思で入籍してしまうことは法律上可能。皇族でも憲法を逸脱する行為(他者が他者の結婚を阻む)はできないのですから。

 

秋篠宮さまを批判できる方は、よっぽど親や周りのアドバイスをよく聞き常識的な人生を生きていらっしゃったのだろうと思います。わたしはできません。ただ眞子さまに対しては、似た状況を起こした自分が未成熟で愚かであったことや相手もまた同じく浅はかであったと苦々しく思い出します。

 

秋篠宮さまはいつも原稿を読まれず記者にお答えになりますね。

 

それを、お人柄がわかって嬉しいなぁと思う反面、そんなに真摯にお答えにならなくても良いのになと思ったりします。

 

他の皇族の方でこのように語られる方はいらっしゃいません。おそらくもともとお話好きでいらっしゃるのと、兄上様の陛下がお立場上自由に発せられないこともあって国民にオープンな立場であらねばということもおありでしょうし、もちろん殿下にもこれだけは言っておきたいというような意思を示されたいお気持ちもあるのでしょう。

 

良し悪しですね。

 

良い時は良い風に必要以上に持ち上げられますが、今のようにひとたび反感を買う状況ができると、ちゃんとご自身で示されようとすればするほど揚げ足を取られて炎上の火種になってしまいます。どうかご心労で体調を崩されることだけはないようと祈ります。

 

さて、ゴシップはこの辺にして、殿下が青森県の和久井高校の快挙に触れられたのがとてもよかったですね。

 

会見を見るまで知りませんでしたが、ストックホルムで開催された青年水大賞で、古来より日本家屋に見られる土間等を作る技術、三和土(たたき、敲き土)から発想を得て海外の灌漑事業への活用を提案した高校がグランプリを受賞、素晴らしいことだなと。

 

日本の伝統的な技術や文化のこと、またそれをどのように継続して社会に役立てていくのか。知られていないけど大事なことをご公務や地方での見聞により深められ関係者を励まし、力付けられる、皇族の皆様にしかできないことです。

 

実際に何かの施策を動かしたり指示したりなど政治的な関わりはできないからこそ、実際に見て聞いて、こんなことがありましたよと話題に出される。

 

やんごとなきかたには、名前を挙げていただくだけで人々が勇気づけられる力がおありです。

 

麒麟が来る」で坂東玉三郎さん演じる高貴な正親町天皇が話題です。「(信長が)褒めて欲しそうだったから褒めてやった」の言葉にぞくっときた方が多かったようですが、それくらい影響力があることなんですよね。塀を立て直すお金はなくとも人を動かす威光。権力ではなく、権威、ですね。

 

そう思うと殿下はあまりお話しできなくなるお立場へとなっていかれるわけです。今の状況を見ているとその方が良いと。なのにやっぱりどこかでお声を聞いたり御姿を遠くからでも…と思ってしまうのはわたしの我がままですね(^^) ファンですからね(笑

 

しかしながらあまりにゴシップがひどいので、上皇様がご譲位される時の会見を思い出します。

 

「国民の民度により支えられてきた」

 

と。「民度」、大変重く響いたのを覚えています。今の世間はどうでしょうか?日本人の民度は高いのでしょうか。

 

常識がないと他者を糾弾する前に、日本の歴史を学んだり、自分の地域や身の回りにある価値ある事柄に目を向けて、優しく穏やかな感情を選び取ることをできている大人はどれほどいるでしょうか。

 

天皇家は「象徴」です。私たちの写し鏡です。だからこそ、一人一人がどうあるのか、が問われているのではないでしょうか。

 

麒麟が来るといいですね(^^)

 

 

 

 

 

言葉の代わりに舞い落ちる

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朝のお掃除で日に日に増える落ち葉を🍂掃き集めていると、一つ一つが言葉にならない悲しみを映しているように見える。

どんなにそれらしい理由を考えても、大切な人をなくすことの慰めにはならないよね。

実り豊かなアキも、ほがらかに芽吹くハルも、人によっては笑うことができない時がある。

ですので、なんの力にもなれないけど、わたしは絶対にこの地域で喜びを持って生きていこうと、面白いや楽しいをいっぱい創っていこうって思うんですよ。


#ヨーローヒョウタン工房
#岐阜県
#養老町
#養老公園 近く
#養老天命反転地 近く
#養老鉄道
#養老駅 から徒歩で5分

火打ち石の名産地、養老

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雨上がりの養老山に龍神さまの如く現れる一本雲。

 

美しい。


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そんな岐阜県養老町はかつて火打ち石の名産地として知られ、江戸にもたくさん輸出されていました。

 

高品質の火打石三大産地として、京都の鞍馬産、水戸産、そしてここ養老産ということで、養老山地の唐谷でとれるものは大変人気があったとか。


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そんな地元の歴史を体感しようと、「火打ち石ワークショップ」を企画。まずは火口作り。

 

綿タオルを缶に入れて蒸し焼きにし、炭にします。

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ほわほわの柔らかな火口ができたところで、谷で拾ってきた火打ち石で着火実験


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みんなコツをつかんで上手に火が付けられるようになりました

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今後は山歩きをするたびに火打ち石を探してしまいそうです(^^)

 

詳細が気になる方は、ぜひ養老山大学(ようろうたまだいがく)へ遊びにお越し下さい。

 

◼️養老山大学

https://yoroyama.jimdofree.com

 

大人の修学旅行、奈良旅「秋篠寺」

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なぜか奈良って心惹かれる。

ゆったりとした素朴なまちの雰囲気の中にすごいところがいっぱい。

 

美濃育ちのわたしは、地元の歴史とつながりが深い奈良が大好き。


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久しぶりの訪問は秋篠寺から。

突然、深い森に迷い込んだような苔庭はただただ美しく、清らかなエネルギーに満ちています。

 

国宝の本堂と、これまた美しい仏像の数々。

その中でも技芸天がとくに有名で、火事で焼けたため胴体は鎌倉時代ですが、首から上が奈良時代当時のものとのこと。

 

敬愛なる秋篠宮さまのご由緒のお寺ということもあり初めて尋ねましたが、お庭も仏像も素晴らしく、本当に癒されました。

 

こちらの技芸天が紀子さまに似ていらっしゃるとファンがとっても多いそうです。また、芸術や学問に関するお願い事をおききくださるので、女性の芸能関係の方が多く訪れられるそうです。

 

わたしもひょうたん工芸の上達をお願いしてきました(^^)

 

本堂の拝観はできますが写真は撮れないので、技芸天の写真セットを買いました♪
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大切に部屋に飾ろうと思います。