変若水で泳ぐ山姥の日記

をちみずでおよぐやまんばのにっき

小室文書、笑うのは誰、泣くのは誰

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先日発表された小室文書と呼ばれるものを目にし、またそれに対して溢れる罵詈雑言にただた気分が沈む。

 

一般の方への個人攻撃になってしまうけれど、小室さん親子が眞子内親王殿下を安心してお迎えしお守りできる方達だとはわたしも到底思わない。相応しいかどうはいうまでもない。

 

こんなにも心配や批判が巻き起こること事態が既に異常であって、あってはならないこと。

 

かと言ってなぜこんな事が起きてくるかと言えば、それは社会全体の勉強不足、日本固有の歴史や伝統文化に対する敬意と誇りを国民が持ちあわせていないことの表れだと感じる。

 

日本が戦争に負けた時、じわじわと皇室を潰す作戦を、諸外国が練ったという。

 

天皇は現人神から象徴となり、その威光が失われるように法律も変えられた。「開かれた皇室」というファンタジックなまやかしによって、民間からお后様をお迎えになった時にもう始まっている。

 

それでも上皇陛下は、ご自身の「私」より「公」の立場を徹底されご婚約の際には美智子様に立場ゆえ守れないこともあるとおっしゃられ、それを承知で美智子さまも嫁がれたからこそ、苦難もありながら新しい形を模索されていらっしゃったのだと思います。上皇陛下が御代替わりの意向をお話しされたときに、「全身全霊」と仰ったのはそういうことではなかったでしょうか。

 

そうして皇太子でいらっしゃった今上陛下がお后様をお迎えになるときには、「わたしが全力で守る」と雅子様にお伝えなさることにより「私」の部分の重要度がやや増し、雅子様への批判があればそれを諌める発言を公になさり、ストレスでご公務の遂行が叶わない期間も「ご自身の家族」をお守りになってきた。それまでは最も重要とされたお后様のお役目、お世継(親王)に恵まれずとも、国民の敬愛を損なわないあり方を体現され続けていらっしゃったことは、時代の流れにも適合する事だったと思います。

 

そんな中、「血のスペア」のお役目を負うことになったのが秋篠宮家で、悠仁様がお生まれになり、秋篠宮皇嗣殿下、御一家にかかる重みは急激に増すことになりました。

 

どの出来事をとっても、その一つ一つが大変な出来事であり、その時の最善を尽くしていらっしゃった皇族の皆様方には敬愛と畏怖の念こそあれ、批判が起こることなどは、三流のゴシップ紙が煽る事はあっても、国民全体としては穏やかに冷静に見てきたはずと思っていました。

 

しかし、政治やマスコミ、エンターテイメントの変質により(もしくは意図的に)、日本の国の歴史や文化、品位を貶める出来事は止まることを知らず、それによって起こりうる未来より個人の生活を守るだけでていっぱいになってしまった私たちの、まさに「象徴」として現れた内親王殿下の恋人、それが小室さんなのだと思う。

 

皇室に対する敬意や畏怖はもとよりなく、相手の心に寄り添う思いやりもなく、自身の正しさを優先し雄弁に語る卑しさ、小室さんを生み出したのは社会であることを反省することも、謙虚に歴史を学び直すこともせず、私たちはどこへ向かうのでしょうか。

 

マスコミのやることは同じです。天皇への直接の批判はできないので、その次に継がれる立場の方を徹底的に攻撃します。

 

昭和天皇が御存命の時代は美智子様を、上皇陛下の時代は雅子様を、そして今は秋篠宮皇嗣家をと、順番に持ち上げて落とし、尊敬するふりをして叩き、エネルギーを奪い、天皇家の御宝であるはずの良識ある国民の意識を愚弄する方へ誘導する。

 

そう、作戦通りに。

 

わたしは自分の地域のまちづくりに関わるようになって、ようやく地域の歴史というところから日本の歴史へと目を向けるようになりました。まだまだ知らないことばかりだけど、それでもいかに苦難を超えてこの天皇家と国民の関係が育てられてきたかと驚く。良い悪いでもないし、正しいかどうかも時代によって変わるのだろうけど、それでも「続いてきたという史実」はあって、そこに感動し、ありがたいと思ってきた。

 

天皇陛下の存在は西洋で例えるなら、イギリス国王とローマ法王の両方の権威を一つの身に合わせてお持ちになっているようなものであり、現代においてもこのような制度が存在しているのは唯一無二の奇跡、世界で最も長い歴史を持つ国家をつらぬく御柱です。それは、マツリゴトが、政と祀りと同時に表されるように、目に見えることから霊的なエリア全てに影響します。

 

でも、自分の地域やその歴史を愛し、国の成り立ちを誇りに思い、好きだというわたしは変わり者でしかない。それが、とても悲しい。

 

恐れながら、私は子供の頃からなぜか秋篠宮様が大好きで、紀子さまと共に御公務に勤しまれる姿に胸をときめかせてきた。お世継ぎを産む役割まで負われ、(たしかにお若い時は自由を楽しまれる側面もあったにしろ)、天皇家と一緒になって伝統を守っていこうとされる決意に満ちた殿下の御姿に感動したりこっそり泣いたりしていました。

 

天皇家の存続は、皇室のプライベートな幸せ云々の話ではなく、日本国の話。だからこそ、陛下はその長として公の場で内親王殿下とその恋人に対してメッセージを伝えられたのです。

 

にもかかわらず、公開された文書にはそれに対するお詫びや感謝、反省は全くない。つまり、敬う気持ちなどひとつもないわけです。だから腹だだしいのだけれど、見渡すと誰もがそうではないか。

 

そして多くの人が歴史なんか興味ない。時代に合わせて変えればいい、税金無駄にするなら無くせと平気で言えてしまう。これはもう、無理だな、と思ってしまう。

 

こうなってくると、敗戦時に作戦を練った側の勝ち、圧勝です。

 

戦いに負けるとは、そういうことです。長年積み重ねた歴史も伝統も、そこから育まれた文化も全部破壊されるのです。

 

皇室の尊厳が無くなり、女系天皇だの、自由に離脱して結婚してだのとなったら、笑うのは仕掛けた側。アメリカでしょうか、中国でしょうか。わたしにはわかりません。 では泣くのは? それはもう日本国民ですらなく(価値が分からないから悲しくもない)、心底ガッカリするのは中韓以外の日本を好きだと言ってくれていたアジア諸国の人たちかもですね。

 

本当に嫌だ。本当に、悲しい。

 

でもだから、批判だけするんじゃなくて、せめてできる範囲で学べることは学び、伝えるべきだと思う事を、小さな地域の中でやっていきたいと思います。

 

眞子内親王殿下のご結婚に関しては、国家を統べる陛下が毅然として然るべきご決断をなさるべきと思います。それにより起こることは国民全体が受け止めていくしかありません。

 

どんな社会になろうとも、私たち国民もまた、不自由な生贄のままではいられません。壊滅的な破壊の中から、復活できるものだけが次の時代を作ってゆきます。

 

それが「風の時代」なら、仕方のないことです。