変若水で泳ぐ山姥の日記

をちみずでおよぐやまんばのにっき

わたしと大垣、ひょうたんのこと。

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奥の細道むすびの地記念館(岐阜県大垣市) ひょうたんイルミネーション設置とひょうたんランプ展示に寄せて

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 わたしは1979年(昭和54年)1月、大垣の箭田産婦人科で生まれました。1歳の時に母の実家である養老へ住まいを移してから高校卒業までほとんどの時間を養老で過ごしましたが、祖父母が大垣に住んでいたためよく遊びに来たものでした。祭りと言えば大垣まつりが大好きで、夜店の並んだ賑やかな通りをあるいてお菓子やガラス細工を買ってもらうのを、毎年とてもたのしみにしていました。


 祖父、大橋源吉は竹島町で紋章上絵師として着物に紋を入れる仕事していました。家に遊びに行くと、狭い路地に面した古い家の一階に祖父がいて作業の様子をよくみていました。 わずかにゆがんだ硝子戸から挿し込む光、湯を沸かす炭のにおい。竹のコンパスと墨を含んだねずみのひげでできた細い細い筆。それらをつかって生地に紋を描き入れていく様子は、まるで魔法を見ているようで、私の頭に原風景としてしっかり焼きついています。父・藤雄の代になって時代の流れもあり紋入れの仕事は廃業致しましたが、みなさまが紋付の着物をお持ちなら、ひょっとすると祖父や父が描かせていただいたものがあるかもしれません。

 

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 ひょうたん工芸を始めたのは高校卒業後、東京・大阪と都会での生活を終えて地元養老に戻ってきてからです。久しぶりに帰ってきたまち。養老山脈が見下ろす平らかな濃尾平野、川を照らす夕日や山の上にきらめくたくさんの星、季節ごとに山野をいろどる草花。心の底から美しいと思いました。この豊かさを大切にしたい、次の世代へつないでいきたいと思い仲間を集め町づくりの活動をはじめました。何か面白いものはないかと地域を見て回っているうちに出会ったのがひょうたん。昔から当たり前にあったのに、培加工者が高齢化し文化として途絶える寸前であることを知りました。町のシンボルが廃れてしまってはいけないと栽培から始め、今ではすっかりひょうたんの魅力にはまっています。


 ひょうたんにカラフルに色づけをするようになったのは、汚れや傷で売り物にならないと見捨てられたひょうたんの活用のためでしたが、おかげで絵筆を持って作品作りをするようになると、紋章上絵師だった祖父をよく思い出すようになりました。「そういえば、爺ちゃんも筆で仕事しとったな」とまるで昨日のことようにあの硝子戸の中の空気や匂いがよみがえるのです。そして静かに自身と向き合うとき、祖父はじめたくさんの存在が途切れることなくつながっていてくれることの尊さと感謝で胸がいっぱいになります。今回、結びの地記念館のイルミネーションライトカバーの装飾と作品展示をさせていただくこととなりました。山に降った雨が伏流水となり長い時間を経てふたたび地上へ清らかな泉として湧き上がるように、祖父母・父母がお世話になった大垣でこうしてご縁をいただきましたこと、心より感謝申し上げます。

 

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 わたし達はだれもが、とてつもなく長い時間の中で命を受け継いで生きています。ひょうたんは乾燥すると中が空洞になる特性から、古代より物入れや水(酒)入れ、楽器などの材料として活用されてきた器、「人類の原器」ですが、人間もまた愛と魂を受け止め輝くかけがえのない「器」と言えるのではないでしょうか。 そんな思いを込めてつくったひょうたんランプ三点を展示しております。ゆっくりご鑑賞頂けますとうれしいです。

 

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