変若水で泳ぐ山姥の日記

をちみずでおよぐやまんばのにっき

宇宙人。

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小学生だったある日、ものすごい騒音で目が覚めた。

 

大音量でラジオから流れる騒音、もしくは工場の機械が擦れ合うような。

 

うるさいなー!何この音? 

 

そう思って窓の外を見たら、銀色の、ものすごい大きな円盤が浮かんでいて、同時に、2〜3人の宇宙人👽…いわゆる、グレイタイプのがゆらゆら近づいてくる映像が頭に直接入ってきて、体は金縛りになったように動かない。

 

あまりの恐怖に、意識を失い、その後どうなったのかは全く記憶がない。

 

きっと夢だったのだろうと思うことにして大人になったが、今も時々思い出す。

 

けれど、しんどいのはそんな幼い頃の幻覚より、「宇宙人」のように話が通じ合わない、噛み合わない種々の案件。

 

大人になって、それぞれの人が多様な経験の中で、相手を慮る想像力とか、譲り合う奥ゆかしさとか、寛容さとか、判断力や冷静さを身につけてきたに違いないのに、

 

それでも伝え合うこと、話し合うこと、そこから折り合いをつけて納得しながら前に進む力にしていくこと、その為に協力し合うことが、これほど難しいなんて。

 

自身の実力・能力不足、ということに尽きるのですが。

 

それによって、悩むとか、苦しむということは無いのですが、ただ考える事が多くなりますね。

 

町から消えかけている太鼓保存会の行く末も、誰もが既読スルーな同窓会の幹事の泣き言も、相変わらず言い争いがちな高齢の両親の事も、異なる感性が不協和音を産むだけの職場も。

 

自分は、何ができるんだろう。出来る出来ないと、それにかかわらずやるかやらないかも含め、主観と傍観(他感)の狭間でざわめく心を、おさめきれない悲しさよ。

 

こうゆう時、みんなはどうしてるんだろう。

 

もっと頭が良かったら、もっと強かったら、こんな風にモヤついたりしないのかな。

 

わからないから、読書で気を紛らわす。そんな、夜。