変若水で泳ぐ山姥の日記

をちみずでおよぐやまんばのにっき

氷河期世代も悪くない

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わたしは41歳で、

いわゆる氷河期世代と呼ばれるくくり

 

確かに大学を卒業した頃は

同世代の、わたしよりずっと真面目で

優秀な子達でさえ 

働くこと 家族を持つことに

いちいち苦労してた

 

わたしはもとから不真面目で

なんとなく会社組織に馴染めないことも

わかってたし、子供もほしくなかったし

だから結婚はしたけど

合わなくなったらサッサと離婚して

自分の自由にしてきました

 

子供の頃から 変わってるって言われて

決められた事になぜ従わなくては

いけないのかと、

 

いちいちその意味や理由を求めてしまい

考えすぎて 普通にみんなが出来ることが

できなかったり

 

逆に人がはばかるような事を

やってしまったりと

 

失敗の多い人生だったのですが

それはそれで氷河期世代である事を

言い訳にも使う小ズルさに

たすけられました。

 

これが「良い時代」だったら

わたしのような社会不適合要素の

強いタイプはもっと

生きづらかったんじゃないかな

 

最近 コロナで 再び氷河期世代

スポットがあたり

「災難続きの状況を憂う」話題を目にして

 

同じ世代がもし再び

キツイ思いをしてるとしたら…

 

って。

 

私たちの親はいわゆる団塊世代

「フツーこうよね」っていう

わかりやすいパターンがあり、

それを目指し、また実現出来るという

時代の中でわりと横並びに

上昇したり次々に所有する事で

幸せを感じて来たと思います

 

いっぽう私たち氷河期世代

その当たり前と思われてきたことが

どーにもできづらいという事態を

世代全体で経験し続け

 

つまり

常識を壊す…という意識が

当の本人にはさらさらなくとも

そうせざるを得ない葛藤の中で

 

シンプルな方向へ 

ひょっとしたらもう

必要ではないこだわりを

手放す方向へ進むよう

多少の痛みを伴いつつも

 

ちゃんと自分で考え 

自分で物事の価値をきめ

切り替えていく力を

身につけてきたんじゃないのかな

 

これから どんな時代を作っていくのか

それを、

苦労し続けたからこそ悲観じゃなく

地に足を付け しっかり描くことができる、

生き延びてゆく、

そういうしなやかさがあるんじゃないのかな。

 

私たちは

もっと自信を持っていいし

もっと希望を持っていい

 

コロナは 

私たちが世代全体で経験した葛藤や

深掘りせずに置いといた違和感の正体に

一人一人が向き合う時間をくれました

 

大切なものって何?

仕事?家族?健康?

 

良いって何

悪いって何

正しいって何

 

絶対的な正解がない問いに揺さぶられ

まるで違う世界に入ってしまったかのような

急激な変化

 

社会の歯車が狂ってしまったように感じるのは

誰もが「自分のことしか考えてない」

のではなく、誰もが真剣に

ただ自分の事を考え

向き合う事をしてこなかったから

 

本当に自分の事だけ真剣に考え、

個を追求すると

反転して全体としての自分に出会います

 

自分が唯一無二の存在であることがわかると

その尊さに圧倒されると

 

自分のことだけ考えるあまり

自分と人との区別がなくなり

結果、全体の喜びに寄与するしかない

生き方に変わってしまいます

 

それが 「良いことだから」でなく

「正しい行いだから」でなく

 

ただ自分が嬉しいとか楽しいことが

そのまま意識せずとも周りにも

おだやかに広がる

 

そういうモードになりますね。

 

氷河期世代はこれからの

楽しすぎる時代を迎えるために

先陣を切って古くなった価値観と戦い

ゆえに傷を負ったりする

「世代としてのポジション」を

ちゃんとこなしてきた

 

それ 素晴らしいと思う。

 

良い思いをした親世代を見ながら育ち

自身はそれが叶わず苦しかった

おおらかな若い世代には軽々追い越され

割を食った感に苛まれて来たとしても

 

ゴミクズのような人生だと思ったとしても

全部栄養になることにも気がつける

視点をもてる世代だと思います

 

同じ時代を生きてくれているみんなに

心からの感謝とエールをおくります