変若水で泳ぐ山姥の日記

をちみずでおよぐやまんばのにっき

竹内睦泰氏、逝去の喪失感。

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第七十三世 武内宿禰 竹内睦泰氏が旅立たれた。

 

「むっちゃん」の動画を見たり、著書を読んだり。

 

こんなにも日本の歴史は面白く、誇らしいのかと気付かせてもらった。

 

歴史はもちろん、日本の文化や精神性についての膨大な知識見識を持ち、いわゆる竹内文書と言われる1000年を超えて受け継がれてきた口伝の継承者、歴史の証人「武内宿禰」として生きるという宿命も、むっちゃんは穏やかに受け入れ、凡人の我々にも共感できる形でシェアしてくれていた。

 

親しみあるはっちゃけたものいいの中にも、むっちゃんの愛情や優しさ、純粋な人柄を感じた。おごりもせず、かといって卑屈にもならず、自然体で素敵な人だった。

 

門外不出とされてきた口伝(の一部)を公開した訳を

「いつか自分も死ぬ。だからやっぱり伝えられるところは伝えたほうがいいと思った。」

と語っていた。

 

「死んだら前方後円墳に入りたいから土地を買った」とかも言っていた。

 

笑って動画を見てたけど、今思うと、むっちゃんはやはりどこかで自らの命の区切りが近いと感じとっていたのではと。

 

そんなことすら気がつかず、いつか会いたいなぁ〜 なんて先延ばしにした事を、本当に後悔している。

 

むっちゃんの訃報を知った日も、わたしは目の前のことに追われて、受け入れられないまま過ごした。

 

周りの言葉も頭に入らないし、なにをやっても身は入らないのだけど、表面上はいつもと変わらぬ体裁を繕って仕事をこなした。

 

夜、帰宅して車のドアをバタンとしめて、いつものように空を見上げた。

 

たくさんの星がキラキラ輝いていて

そこでようやくわたしは涙をこぼした。

 

この星空は むっちゃんの書いた本の表紙と同じだ。

 

古事記の宇宙」

 

を、初めて読んだとき、たった一つの宇宙の源が輝きながら細胞分裂し、その「ありとあらゆる状態」が八百万の神々としてそこかしこに満ちていった様子が、美しい言葉で綴られていて、胸がいっぱいになった。

 

ふる(古)こと(事)ふみ(記) は、わたしを確実に豊かにしてくれたし、右でもなく左でもなく、内でもなく外でもなく、ときに利害や思想が異なる立場同士でも、「仲良くしたほうがいいと思うんですよ」というむっちゃんの言葉は、本物の知識と良識の積み重ねからくる智慧そのものだった。

 

竹内睦泰

睦み合う泰き世を千代に八千代に

 

むっちゃんの事を知っている人が周りにいなくて、この喪失感を共有することが出来ないからここで吐く。

 

53歳だったむっちゃんは逝ってしまわれた。それが「早すぎる」のではなく、わたしが遅すぎたんだ。

 

失敗の多い人生だけど、「行動しなかった事」をここまで悔やんだのは初めてだ。

 

いつか養老のことを、元正天皇のことを、むっちゃんに聞いてみたいと思ってた。

 

いつか なんてないのに。

 

でも、明日が来る限り…というか今日が

今が、こうしてある限り 

わたしは二度と、やりたいことを

躊躇しないと決めた。

 

せめて自分の生まれ育った土地の歴史だけはしっかり伝えられるようなわたしでありたい。もっともっと学びたい。

 

そう思う。

 

むっちゃんありがとう。見守っていてください。どうぞ安らかに。

 

#武内宿禰 #竹内睦泰