小さな村の神社こそ
小さな村の神社こそ。
立派な装飾の社殿はなくとも、たくさんの参拝客が訪れずとも、古くにその地域に迎えられ、祀られ、大事にされているような神社を見つけると、たまらなく愛おしくなる。こういう場所こそ、宝である。
11月の初めに、地元のとある地区の婦人会にお呼びいただいた。
今は存在自体が珍しくなった婦人会の、年1回の親睦を深める会で、ひょうたんのランプ作りをしたいということで講師を依頼された。
何百回も通ってきた道路から、地区の人でなければ入ることはまずないであろう細い脇道の先に、公民館があるという。
車を止めて歩いて行くと、小さな鳥居が現れた。
「公民館て、神社の境内にあるんだ!」
こうしてお呼びいただかなければ絶対に来ることはなかった小さなお社と、清らかな空気に、感動で胸がいっぱいになる。
なんて美しいんだろう。
なんてありがたいんだろう。
自分たちにとっては見慣れたなんの変哲も無い小さな村社に感動してため息をもらし、はしゃいで写真を撮る私を、婦人会の皆さんが不思議そうに見ていた。
神社の歴史は地域の歴史。
婦人会の皆さんに呼んでいただいたということはイコール、この村の土地神様に呼んでいたいたということ。
また一つ、私はこのいとおしい養老の地で、土と繋がったんだ。婦人会という名のもとに集まった女神の皆さんは、自分たち自身の存在がどれほどすばらしいのかに気づかないまま、見よう見まねでひょうたんのランプを産んでいる。
うれしい うれしい 一日でした。