変若水で泳ぐ山姥の日記

をちみずでおよぐやまんばのにっき

養老公園ライトアップに勝手にコラボ

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昨日から始まった養老公園でのライトアップイベント

 

養老天命反転地での作品撮影を来週に控えている関係で、下見に行ったついでに見てきました。

 

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公園の芝生ひろばにある木を中心にしたプロジェクションマッピングと、イルミネーション。そしてたくさんのランタンが飾られています。

 

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というわけで、持っていった新作ランプを勝手に設置、写真を撮ってみました。

 

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なかなかいい感じ(^^)

 

もともとこの時期は毎年アートピクニックという企画があって、毎年わたしも呼んでいただいていたのですが、今年はコロナで色々計画変更したようです。

 

せっかく地元、養老公園でのライトアップイベントやるんだもの、わたしも参加したい。やっぱり養老はひょうたんだもの、ね?(^^)

 

地元でくすぶる気持ち

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8/8に養老山大学をオープンしてから、

毎日楽しく制作&営業しております。

https://yoroyama.jimdofree.com

 

今日は若い女性がお越しになって、聞けば青年海外協力隊でモンゴルにいっていたけれどコロナで帰国を余儀なくされ、復帰の目処も立たないまま任期が終わりそうだとのこと。

 

地元に帰ってきてから、モンゴルでどんな活動をしてきたか理解される事がなく、親世代や昔ながらのご近所さんには

 

「そんな事してると嫁に行けないよ」

 

だのトンチンカンな事を言われ、コロナで人に会いに行くこともできづらく、協力隊のささやかなお給金では生活にも忍びない。

 

だからあきらめて就職するかと思ったけれど、やっぱり自身の経験を活かして地元にいながら出来ることを考えたい、と。

 

というわけで私たちのシェアスペースでもある養老山大学を訪ねて来てくれて、コワーキングしながら、何か協力しての企画ができないかというご相談でした。

 

実は若かりし頃(高校時代)、まさに国際政治や青年海外協力隊に憧れてそっちの方向に進むことを夢見ていた(のに気づいたら地元でひょうたんランプ作ってる)わたしは、彼女の思いと真摯な眼差しにいたく感動してしまい、

 

すぐに協力する旨お伝えしました。

 

彼女なりにいくつかプランを話してくれましたが、「でも、うまく行くか、できるかわからなくて…」と不安のようでした。

 

それは当然だと思います。こういう先の見えない状況の中、世間の空気、親世代の無理解もあって、自信をなくさずいることは難しい。

 

自分のやってきたことに意味があるのか?

これからやっていけるのか?

 

だけど、それでもリスクをとって挑戦するその気持ち、こころの震えが、どれほど尊いものか、わたしにはわかる。

 

「大丈夫、(あなたのやりたい事は)できますよ。」

 

と本当にそう思ったから言ったら、彼女の表情がほころんで

「なんか泣きそうです」

 

って。

これまでもきっとキツいことあっただろうに、でもきっと弱音吐かずにずっと努力してきたんだと思う。でなきゃ、海外でハードな活動をやってこられなかったと思う。

 

こういう志を持った若い方は世の宝物だ。

それを少しでも応援したいし、わたしも勉強させてもらおうと思います(^^)

 

地元でくすぶる気持ちを、もっともっと燃やして明るく、温かく灯していきましょう。

 

 

 

新作ひょうたんランプが出来てみたら…

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タイトル

「愛の水縄(あいのみなわ)」


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できました(^^)

縄文土器へのオマージュとして制作しました。

 

意外とすんなり手を離れた感じで、

もちろん1ヶ月くらいはかかっているのだけど

 

いつもは 込めて 作り込んでは

向こう(ひょうたん)から返ってくるエネルギーの強さ、感触で

 

あ、今だ(完成したんだ)…というのがわかって、

 

やっとできたなぁ…という

達成感みたいなのが強かったのですが

 

今回はピークが中盤にあって、

緩やかに坂道を歩いて下りたような感じがします。

 

だから、これが「完成」しているのかどうかわからないのだけど(笑

 

すっごく面白い変化だなぁと

自分の制作経験になっていくであろう流れの面白さに、そしてこれからに、より気持ちが前に素直に進むような気がします。

 

作る際に思い描いていることは、

「見る方自身がどれほど美しく特別な存在であったかを思い出すような作品」を作りたいということです。

 

命の水に穏やかに癒される時も

激しくもまれるときも

絶え間なくつながる大きな流れの中では

瞬間ごとに輝く光でしかなく

 

その奇跡に胸を震わせて生きていたいと思います。

 

 

コロナで仕事壊滅も国保料免除却下で泣いた話

 

盛夏の折、いかがお過ごしでしょうか。


ご多分に漏れずコロナで打撃を受けているわたしが国保料の免除申請に役場に行った話をシェアします。

 

同じような状況の皆さんにとって参考になれば…ならないか(笑

 

まずわたしの状況説明をしますと、アーティストとしての活動に専念するため今年3月に会社を退職し4月に起業(開業届提出)した立場です。

これまでのアーティスト活動で得た報酬は会社からの給料と別に「雑収入」として毎年確定申告してきました。

 

もちろん会社を辞めたのは自己都合で、独立開業のためにチビチビためた資金と、4月以降から年間通して依頼いただいていたお仕事含め、がんばるぞぉ、って事でね。

 

それがですね、コロナですね。

 

頼まれてた仕事のキャンセルが出始め、それでも3月頃の時点では、「まぁGW明けにはおさまってるでしょう」みたいな雰囲気だったのが、緊急事態宣言となり、なんと!夏のみならず、今年度いっぱい、つまり

 

来年の3月までの依頼が全キャンセル100万近い額の仕事が全部すっ飛びました( ・∇・)


ようは開店休業状態。イベント講師やアート企画の運営委託費、全部中止です。焦って、持続化給付金の申請を検討するも開業届提出が4月だったので、それ以前にフリーランスとしてアート活動実績があってもNG!! 給与所得がアーティスト活動分より多かったこともNG!!で申請サイトでエラーになり、持続化給付金窓口に相談しても、残念ながら無理ですとの回答。

 

しかし、開業時期が3月か4月か、どこかで線引きはしないと不正もできるし、これは仕方ないと思っていたところに、国保料の請求が30万越えでやってきて涙目。

 

コロナで影響を受けた人には国保料の減免があると聞いて、ワラをもつかむ思いで役場の税務課へ。

 

はっきり言って、恥ずかしい。状況説明だけで涙目になる。

 

会社を辞めて副業(アート)のほう一本で頑張ろうと起業した矢先、コロナで仕事が全部飛んだはなし、4月開業で国の給付制度等も一切使えないはなし。

 

1回目、窓口の担当者も切ない表情で「ちょうど制度のはざまに入っちゃった感じですよねぇ、減免申請できると思いますので…」と申請用紙をいただき、少しほっとして帰りました。

 

ところが2回目、風向きが変わります。
「そもそも会社辞められてますよね?自己都合で」

え、はい、そうですけど。こないだお話したけど…ですので起業して頑張る予定が、その仕事がコロナで全部なくなって困ってて…

「自己都合退社なので減免に当てはまらないかと。ここ(町役場)で判断できないので確認します」

……(´;ω;`)うっそ

 

数日後、電話が入る。

「残念ながら結論から言うと減免申請はできません」

あの、ほんとうに、仕事キャンセルになった証明できるし、取引先から文書でいただいてもダメですか?

「県に確認しましたがなにを出してもらってもそもそも条件に当たらないので、できません。預かった書類返します取りに来てください。猶予申請はできる可能性があります」

 

……(´;Д;`)ドゥフッ

 

3回目 役場訪問。

ダメって言われたけど、今回は取引先からのキャンセルの通知文書も持ってきた。しかも民間企業でなく、岐阜県の公共施設(指定管理者)からの仕事の依頼で、施設長のハンコもちゃんとある。

 

これでどうや!

 

と、震える手で提出も、内容に目を通すこともなく「減免申請はできません」

とキッパリ。

 

町で判断しかねるから県(岐阜県国保担当課)に聞いて条件合わないって事だから自信を持っての却下、という感じでした。

猶予申請の用紙を持ってスゴスゴ帰りました。

 

そして本日4回目。
なんとか1年間支払い「猶予」の申請を終わらせました。

…(⌍་д་⌌)ゲッソリ

 

減免の制度の「趣旨」ってコロナで収入に影響受けて困ってる人への救済じゃなかったの?

わたし 嘘ついてないんだけど 

 

でも、ルールはルールなんですよ。1個でも当てはまらなければ、ダメなんですね。

 

誤解の無いように言っておくと、役場の担当職員さんは一生懸命やってくださいました。なんとかしようとは、してくださいました。公務員ですもの、きっちりお仕事してくださったし、猶予頂けただけでも助かります。

 

けど、国に対しては、わたしみたいなあらゆる条件のハザマで困っててもどうしようもないケースがあると知って欲しいです。

 

ちなみに、去年のアート活動報酬を確定申告した際の費目が「雑収入」で、今年は開業届出して「事業収入」となり、費目が異なるので比較対象にできないとも言われました。申告してんのにねー。税金も払ってきたのにね

 

ひとまず猶予は頂いたので、仕事は頑張るしか無いし、意見くらいは届けたいのでこうして書くとともに、友人のツテで自民党や国会議員さんへ相談することにしました。

 

なんもならないかも知れないけど、やれることはやってみます( ・∇・)

みんな頑張ろうね!
読んでくれてありがとう。

 

美術館女子系企画系若者をおだやかに受け入れる養老天命反転地

Yahooニュースで「美術館女子」企画が炎上しているとの記事を読みました

 

なるほど、これは確かに美術館の魅力の発信というより、モデルの女の子が主体の写真集みたいだし、コメント欄も様々な批判であふれていました。

 

これを読んで真っ先に思いを向けたのが、美術館がない我が町(岐阜県養老町)において、圧倒的な集客をしている「養老天命反転地」の事。

 

故・荒川修作さんとマドリン・ギンズさんが作った体感型のアート・建築として、世界中からアートファンが訪れるいっぽう、カラフルで不思議な空間や造作の数々が「映える」ということで、近年若者がたくさんやってくる。

 

この「養老天命反転地」のある養老公園を遊び場として育ち、その建築時からずっと見てきた地元民の一人として、わたし自身がこの壮大な作品から何を感じ受け取っているか、その感動と思いを語るのは多くの時間を要するのでやめておくけれど

 

そのコンセプトや芸術性や、荒川修作さんについて気にしていない(たぶん知らない)若者達が押し寄せ、映え写真撮影に夢中な姿を、とても嬉しく微笑ましく思って見ている。

 

彼らは この養老に古くから受け継がれる歴史も、もともとは観光の中心であった養老の滝の事も知らない。

 

でも、ただ 面白い 映える 撮りたい と思ってやってきては 彼らなりにめいっぱい楽しんで、SNSに投稿し、それが宣伝になってまたたくさんの人が来るというループを作ってくれた。

 

今はこうして多くの若者を中心に人が訪れるスポットになったが、養老天命反転地も不遇の時代がありました。

 

岐阜県の芸術行政事情を素人なりにお伝えすると、養老天命反転地ができた同じ頃、県内にはいわゆるハコモノと言われるような巨額の税金を投じて作られた施設がいくつかあった。

 

それは前知事がアートとハコモノ作り両方が好きだったという事と、それができる時代性があったということが大きかったと思う。

 

日本のシリコンバレーに!とITの拠点として作られたソフトピアジャパンセンター(岐阜県大垣市)もその一つで、建築には500億円以上が投じられ、館内外のアートワークについては当時、現代と伝統、大御所と若手、地域作家と県外作家というバランスを考慮しつつ約6億の予算でさまざまな絵画やモニュメント等の作品が購入・設置された。

 

オープン当初は最先端として賑わったものの、今では全国の文化施設と同じように、老朽化や来館者・稼働率減少に伴って運営は厳しく、指定管理者の努力を上回る時代の変化にさらされている。

 

養老天命反転地も同じようにオープンした当初は話題を呼んだものの、地元の人自体もその価値やコンセプトをさほど理解できず、やがて「なんか変わったものがあるにはあるが、よく知らん。」と関心を寄せられることもなく、最初は手厚く説明をしてくれた学芸員さんも予算の都合上か、いつの間にかいなくなり、だんだん寂れて来館者は激減した。

 

それを 若者が行ってみたいと思い、子供連れがはしゃいで体感し、喜べる場所に再びしてくれたのは、SNSと映えのミーハーな世間の流れです。

 

もちろん、建築やアートを愛する人、じっくり鑑賞して荒川修作さんの世界を理解したいというお客様もいらっしゃいますが、割合でいえば圧倒的にSNSや撮影目的の若者が多いのです。

 

東京・三鷹の天命反転住宅はじめ作品管理や著作管理をされている荒川修作事務所の社長様やスタッフの皆様と、縁あって何年か前から交流させていただいているのですが、荒川修作事務所の皆様も若い人たちが単純に遊んでる喜んでいるのを好意的に捉えていらっしゃるようです。

 

ただ、「荒川さんが生きてたら、この若者たちをみてどう思うんでしょう」ってほほえむ社長様らの笑顔や言葉に甘えているわけではないし、映えだけで賑わって良しと思っているのでは当然無くて、本来の天命反転地のコンセプトや魅力をどのように伝えるのか、また地域としてどうやってアート行政に関わり、次の世代が鑑賞できる素養を育てていくのかという課題は常にありますし、そういう話題になるとお互いに想いが溢れて止まりません。

 

わたしも 作品作りに勤しむアーティストの端くれとして、イベント会社の企画を嘆き、そこに丸投げしてやったフリをしている行政を批判するだけの自分がどうしても嫌で、恥ずかしくて、去年から地域作家仲間に声をかけて養老天命反転地ではじめてのグループ展を企画するなど、行動に移し始めました。

 

もちろん それがすぐ効果的な結果を出すということではありませんが、それでもわたしたちのグループ展に来た住民が「何十年ぶりに来た」「こんな面白いところだったんだ」「若い子たちが多く来てるの知らなかった」とたくさんの反響があり、地域に生きるものとして、「高尚」「わからない」「難しい」を超えてみんなで関わっていく方法をこれからも考えて、そして実際やってみるということを諦めたくないと思っています。

 

アイドル企画があってもいいし

作品を深く理解できる企画があっていい

とわたしは思います。

 

音楽だとわたしはクラシックが好きで、JSバッハが宇宙一素晴らしいミュージシャンだと思っていますが、現実としていま売れているのは米津玄師さんとかヒゲダンとかだし、わたしもそうゆうかっこいい曲も好きです。ミーハーです。星野源さんが養老天命反転地に撮影で来てくださったのも自慢です。

 

業界における女性の地位の低さやジェンダーの問題は美術界に限ったことではありません。

 

ですので 今回 美術館女子の企画がけしからんと思い、ほんとうに地域の美術館と芸術教育を憂うのであれば、もう一度ご自身ができることを考えていただきたいと思います。

 

前述のソフトピアジャパンセンターに関しても、指定管理者の一員としてこの春までお仕事させていただいておりましたが、館内のアートワークを鑑賞して巡る「ソフトピア現代アートツアー」を企画したところ、とても好評でした。

https://minokoku.hatenablog.com/entry/2018/11/25/183753

 

嘆き 批判すること以外にも(それが悪いとも思いませんが)

例えちいさくとも

私たちにはできることがまだまだある

そう思いませんか(^^)

 

炎上問題の本質は、

美術館がアイドルに頼らざるを得ないほど

文化施設としての運営の難しさに直面していることと、芸術を楽しむベースが育たない社会のあり方と、そして

一人一人にもっと力があることをすっかり忘れてしまっている、

そういうところじゃないでしょうか

 

最後に宣伝させてください(笑

今年も養老天命反転地で地域作家によるグループ展を行います。どうぞよろしくお願いします。https://mey2020.crayonsite.com

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#美術館女子 #養老天命反転地 #星野源 #荒川修作

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

氷河期世代も悪くない

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わたしは41歳で、

いわゆる氷河期世代と呼ばれるくくり

 

確かに大学を卒業した頃は

同世代の、わたしよりずっと真面目で

優秀な子達でさえ 

働くこと 家族を持つことに

いちいち苦労してた

 

わたしはもとから不真面目で

なんとなく会社組織に馴染めないことも

わかってたし、子供もほしくなかったし

だから結婚はしたけど

合わなくなったらサッサと離婚して

自分の自由にしてきました

 

子供の頃から 変わってるって言われて

決められた事になぜ従わなくては

いけないのかと、

 

いちいちその意味や理由を求めてしまい

考えすぎて 普通にみんなが出来ることが

できなかったり

 

逆に人がはばかるような事を

やってしまったりと

 

失敗の多い人生だったのですが

それはそれで氷河期世代である事を

言い訳にも使う小ズルさに

たすけられました。

 

これが「良い時代」だったら

わたしのような社会不適合要素の

強いタイプはもっと

生きづらかったんじゃないかな

 

最近 コロナで 再び氷河期世代

スポットがあたり

「災難続きの状況を憂う」話題を目にして

 

同じ世代がもし再び

キツイ思いをしてるとしたら…

 

って。

 

私たちの親はいわゆる団塊世代

「フツーこうよね」っていう

わかりやすいパターンがあり、

それを目指し、また実現出来るという

時代の中でわりと横並びに

上昇したり次々に所有する事で

幸せを感じて来たと思います

 

いっぽう私たち氷河期世代

その当たり前と思われてきたことが

どーにもできづらいという事態を

世代全体で経験し続け

 

つまり

常識を壊す…という意識が

当の本人にはさらさらなくとも

そうせざるを得ない葛藤の中で

 

シンプルな方向へ 

ひょっとしたらもう

必要ではないこだわりを

手放す方向へ進むよう

多少の痛みを伴いつつも

 

ちゃんと自分で考え 

自分で物事の価値をきめ

切り替えていく力を

身につけてきたんじゃないのかな

 

これから どんな時代を作っていくのか

それを、

苦労し続けたからこそ悲観じゃなく

地に足を付け しっかり描くことができる、

生き延びてゆく、

そういうしなやかさがあるんじゃないのかな。

 

私たちは

もっと自信を持っていいし

もっと希望を持っていい

 

コロナは 

私たちが世代全体で経験した葛藤や

深掘りせずに置いといた違和感の正体に

一人一人が向き合う時間をくれました

 

大切なものって何?

仕事?家族?健康?

 

良いって何

悪いって何

正しいって何

 

絶対的な正解がない問いに揺さぶられ

まるで違う世界に入ってしまったかのような

急激な変化

 

社会の歯車が狂ってしまったように感じるのは

誰もが「自分のことしか考えてない」

のではなく、誰もが真剣に

ただ自分の事を考え

向き合う事をしてこなかったから

 

本当に自分の事だけ真剣に考え、

個を追求すると

反転して全体としての自分に出会います

 

自分が唯一無二の存在であることがわかると

その尊さに圧倒されると

 

自分のことだけ考えるあまり

自分と人との区別がなくなり

結果、全体の喜びに寄与するしかない

生き方に変わってしまいます

 

それが 「良いことだから」でなく

「正しい行いだから」でなく

 

ただ自分が嬉しいとか楽しいことが

そのまま意識せずとも周りにも

おだやかに広がる

 

そういうモードになりますね。

 

氷河期世代はこれからの

楽しすぎる時代を迎えるために

先陣を切って古くなった価値観と戦い

ゆえに傷を負ったりする

「世代としてのポジション」を

ちゃんとこなしてきた

 

それ 素晴らしいと思う。

 

良い思いをした親世代を見ながら育ち

自身はそれが叶わず苦しかった

おおらかな若い世代には軽々追い越され

割を食った感に苛まれて来たとしても

 

ゴミクズのような人生だと思ったとしても

全部栄養になることにも気がつける

視点をもてる世代だと思います

 

同じ時代を生きてくれているみんなに

心からの感謝とエールをおくります

 

わたしが死んだら

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わたしは死んだら

この養老の土地の

土地神さまになって

ずっとここに暮らす民や自然を

見守っていきたい

 

そして いつか

わたしと同じように この土地を

純粋に愛してやまない誰かが現れたら

その人がこの土地で知りたいこと

やりたいことと

ちゃんと繋がれるように

必要な人と会えるように

 

また困ったことや 苦しいことを

超えられるように

 

土の深いところから それとなく導いて

その存在を守ってあげたい

 

わたしがそうであるように

この土地の意識に包まれ

山と土と水に育まれ

豊かさの中でのびのびと

好きなことをしていられるように

 

双方向の絶え間ない愛と敬意と

静かな情熱と安らぎが重なる意識でもって

すこやな呼吸のまま

 

この土地をまた次の世代へ手渡す役割を

全うできるように

 

ここで生きて ここで死ぬ

そして永遠に偏在するわたしを

この土に満ちる水鏡に映そう

 

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#岐阜県 #養老町 #養老山